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新潟群馬旅行
ひさしぶりになってしまった!
この前、新潟と群馬に1人旅行ってきました。
潟博物館→豊栄図書館→土と水の芸術祭をちょっと→富弘美術館
というコース。


潟博物館

豊栄駅から徒歩30分。思ったよりも近かったし、住宅地も普通の密度で安心した。
行く途中、草刈りしてたおじさんに怒られた。
機械で草刈りしてたそばを通り過ぎたので「あぶねえだろ!」と怒鳴られた。
そばといっても1m以上離れてたから何で怒鳴られたのか一瞬わかんなくて「はぁ」といかにも都会のやる気ない若者風な声を出してしまった笑
距離の感覚が違うんだよ、と思って納得させた。
というか歩道だったし、じゃあ車道通れっていうのか!
というどうでもいい話!


潟博物館、最初の印象は「あの黄色いのなんだろう」でした。



屋上にある設備室かな?それが黄色くてとても目立って見えてしまった。
あれがなかったらきれいにうずまきに見えるのにな・・・
ネガティブなレビューだけど、それが第一印象だったので正直に。


展示室の動線がスロープってどんな感じなんだろう、と思ってたけど展示を見るために立ち止まりながら登っていくので違和感なかった。
後ろから上ってきていたおばさまたちが「あら、これだんだん登っているのね〜」と言っていたのでほんと、その程度の傾斜で自然です。
360°景色を楽しめるすてき動線でした。
展示の動線と、その内側の最上階から下る用階段が二重らせん。
内側の階段が入った木の箱が吹き抜けの壁を斜めによこぎって、それが意匠的にもなめらかできれいでした。






あとタイルがかわいかった。


トイレのピクトグラムも。




福島潟に自生するオニバスの展示があったのですがとてもきもちわるくてびっくりしました。
特に裏側!


あと葉が広がりきる前のくしゃくしゃの葉!


ぞわぞわした。
あと1階の入り口につながるアプローチがあひるの足でけんけんぱになっていました。
あずき色の体操服を着た小学生がけんけんぱしていてかわいかった。


写真を見返すと、屋上の黄色いハコはらせんの終点として黄色いのかもしれないと思った。
階段が入った木の箱の終点。
と考えると屋上まで二重らせんを貫き通してるのかなぁ。
でも結局階段ではないしただの意匠上の操作なんでしょうか。
どうせなら屋上までその階段1本通してみるとか…
きっと何か理由があるんだろう。
何も調べず記事書いてすみません。←




豊栄図書館

正方形とそれに内接する円を中心をずらして接合したかたちの図書館。
小規模ですがよい雰囲気の図書館でした。冬に来たら、とても温かい印象だと思う。


フローリングにコンクリートの柱梁でしたが意外と違和感ない。
むしろ、カーペットにするよりこっちのほうがよい。
フローリングの色が明るのもあるんだろうなー。
暖かいけど、生ぬるい甘ったれた雰囲気ではなかった。かっこいい。
という印象の話ばかりになってしまったけど。

安藤文庫というのがあって、笑ってしまった。
利用者がいるのかはなぞ…





水と土の芸術祭

みんなと合流して車に乗せてもらった!ありがたかったです。
時間的にあまりたくさんは見れなかったけど、おもしろかった。
「新潟」にこだわった作品でした。
でもそこからは出てない・・・


次の日移動して群馬へ。
バスの中からたくさんのロードサイド建築を見る。
そして「ラフォーレ原宿・新潟」を見た!
本当にあった!wどっち^^





富弘美術館




とてもとてもとても行きづらい場所にある美術館!もう行きたくない・・・
高崎から1時間かけて桐生駅まで。そこからさらに1時間。そしてバス。
単純計算すると2時間ちょいでつくんだけど、待ち時間長すぎてもうやだ。やることない。みるものない。
シェルターを考えまくる。
が都市の中で考えたい、と思うと進まない。
1日中乗り物のなかにいたよ。^^

バスの中では、おいっこが富弘さんの親友というおばあさまにお会いしました。
富弘さんの展覧会を追って全国を回っているという。
藤村チルドレンなんて目じゃないなぁと思いました。笑



展覧会も見た感想を合わせてレビュー。
富弘さんの生活はスローで、それはそれでとても魅力的だと思いました。
移動は思い通りにできなくても、とても大きな精神世界に住んでいる人。
「人間、どうしてもゆずれない、それがなくては死んでしまうというものって、ほんとうはないんですよね」という内容の言葉に違和感。
いやいや。
わたしはまだ走っていたいと思うし、ゆずれないものはゆずれない。矜持。
1つ1つの小さなものにも目を向けることの大事さは学んだ。


建物はおもしろかったよ!
壁に沿って誘導されつつも展示にはしっかりと区切りがつけられている。
似たような空間で方向性の薄い展示室なので迷うような感覚がある。
ただ順路を間違えないように区切りの帯が張ってあったりして、迷う感覚をつぶしている気がした。もったいない。
その帯は常設と企画を分けるものだったので仕方ないのかもしれないけど・・・


ロッカールームが真っ赤だったり、ガラスと鏡が交互に入った仕上げの部屋があったりとなかなか激しかった。
富弘さんの絵は穏やかなのに、と不思議に思ったけど、波乱万丈な人生にはあってるのかもしれない。
やっぱ「なんで自分だけ」とか思ったりするよね。人間だし。
そういう人が描く絵だから魅力的におもうんだろう。

うーん
でもなんかなー
しっくりこないかんじ。


GYREの展示で取り上げられていたけど、設計プロセスとかログとかそういうものが似合わないアナログな絵で、無機的にとらえたくない感じでした。




MAMプロジェクト009:小林明朗@森美術館




1つ記事立てるほどじゃないかもしれないんだけど前回のは区切りがついてしまったので、新規たてます。
これから見に行く予定のある人はそのあとに読むことをおすすめします。
そのほうが面白いと思うから。




個別にというより全体としての話。
とくに「ヒューマン・オペラ」の方から感じたことだけど、フィクションとノンフィクションの境目ってどこなんだろう。
「ヒューマンオペラ」はフィクションなのかノンフィクションなのか分からないところが面白いんだろうな、と思いました。
あの、男性の困惑した表情の微妙な加減はノンフィクションじゃないと出せない気もする。
でも、あんな好き勝手されながらなぜ怒って出て行かなかったのかな、と思うとフィクションな気もする。
まぁ演技がうまい人だったんだよ!と言われればそこまでなんだけど。


「僕の声はきっとあなたに届いている」というのは手紙や写真を含めたうえで作品とするなら(映像ではなくインスタレーションに近いものとしてとらえるなら)フィクションとノンフィクションの境目に位置するのかもしれないと思った。

映像のほうはたしかにフィクションだと思うけど、手紙は実際に俳優に書いてもらったと書いてあったからノンフィクション。
としたらあの作品全体を通して、小林さんはフィクションの作品を作ったともノンフィクションの作品を作ったとも言えない。
それがなんだかとても不思議に思えました。



実際フィクションかノンフィクションかなんてどっちでもいいのかもしれない。な、なんて。
誰といるときの私がフィクションで誰と話すときの私がノンフィクション?

フィクションもノンフィクションも含めて私だというならフィクションな表情もノンフィクションな表情もひっくるめてノンフィクション。
嘘もつき通せば真となるではないが世界はとてもあやふやだ。
わたしの生活はfictionかもしれない

わたしも誰かから聞いた話で極めて曖昧だけど、映画かなんかで、自分の生きていた世界が実は作られたドラマの世界で自分の生活、というか人生が全世界に放送されていた、というお話があるらしい。

意外とみんなわたしのこと見て笑ってるのかしら。
わたしはテレビの中で踊っているだけなのかしら。


きっとfictionとnonnfictionは二項対立ではなくマーブル模様なんだろうなーと思いました。
fictionとnonfictionの定義づけを最初にしておけばよかったなと思いました。←

アイ・ウェイウェイ展 何に因って?@森美術館


先日アイ・ウェイウェイ展に行ってきました。
写真撮影可だったので写真つきで!いつも字ばかりで見づらいので。
白と黒しかない画面も気に入ってはいるのですが、目に優しくないよね。

展示室の光の入り方がとても気持ちよかった。


一杯の真珠

直径1メートルの碗を淡水パールで満たした立体作品。
見た瞬間「わー贅沢」と俗っぽいことを考えました。
底上げしているのかなとも思いましたがおそらく全部パールなんだろう。
何かの素材に使えるかもーとか思って接写してみたのですが想像以上に気持ち悪い写真になりました。
いもむし・・というかだんごむし?
パールに輝くだんごむし。ひぃ
遠目に見ると淡く光って綺麗に見えるのですが近寄ってみたら意外とグロテスクでした。


疑問はなぜこの作品をアイ・ウェイウェイがつくったのかということ。
1という単位に注目しているのは分かるのですが、中国関係ないな、と思いました。
同じ展示室にあった他の作品は中国茶を固めてつくっていたり中国で使われるテーブルをモチーフにしていたりとあくまで「中国」にこだわっていたのに、この作品はあまり「中国感」を感じない。
碗が中国ぽいと言えばそうだけれど、それならなぜ真珠を入れたのか。
碗も日本や韓国にもありそうな形だし。

ひとつは現在流通している淡水パールのほとんどが中国産であるという話。
今河川の汚染で危機にあるようです。
あとひとつがだんごむしの話。
遠目から見たらきれいだけど近寄ってみたらなんか気持ち悪い、不完全なものの集合。
淡水パールは核を入れないでつくるそうで、たぶん核がないから凹凸のある楕円形になる。
ひとつひとつはかわいいです。
ピアスとかに使ってあるとかわいいんだよ。
しかしひとつがよくても全体で集まると冴えないかんじ。
にも関らず全体を遠めにみるときれいにまとまってみえる。
美醜が入れ子状になっているように思いました。


あとこの作品について、疑問がなぜ二杯一対で展示されるのかということ。
キャプションにわざわざ「二杯一対で展示されます」と書いてあるということは重要ポイントなんだろうか。
タイトルも「一杯の真珠」だし。
これについてはまだ答えが出せていません。
入れ物とふたのように合わせたら砂時計みたいになるなーと思いましたが、それでなんなんだろう、と止まってしまいました。
考えをききたいです。






あと残りの作品は特に不思議なものはなかったかも。
どれも風刺しているニオイがして興味深かったですが意図していることが読めた。(と思う。)
キャプションに謎解きがだいたい書いてあったし。笑
このまえふじいちゃんが言ってたのですが中国中国ってかんじですね。たしかに。
今思ったんだけどたぶん、今回の展覧会は自らの起源を問うことがテーマなんだろうなと思います。
「何に因って?」だし。
作品の中でも中国関連のものを出してきたというか。
この人が別の視点でつくったものも見てみたいと思いました。
とかいって他のも中国視点だったら・∀・ってなっちゃうんだけど。


あとみんなが書いてる小林明朗さん。
ネタばれになるから書かないほうがいいのかな?笑
ちょっとちんたら考えてるのでまた今度レビューを。



このあと平田さん→カンポ・バエザコースでした。
それについてはまた別に書きます。








今日はなんで私は建築を捨てられないのかについて考えた日でした。
時間もお金も費やして、新しい服も靴も新しいアイシャドウだって我慢して寝不足で肌は荒れるしそれなのに建築やってわたし、何も残せてないんじゃないか。という。
だったらさっさと建築捨ててアフター5をエンジョイするOLにでもなればいいのに。
ばかだな。
きっと建築がすきなんだな、と思いました。
服や靴が与えてくれない充実感がたしかにある。





しかし建築は服や靴が与えてくれる充実感を持っていないんだ!笑

酔った頭で考えたこと。
 
アイウェイウェイとか平田さんとかカンポバエザとかいろいろ行ってきたのでレビューしたいのですがとりあえず今日酔った頭で考えたこと


酔ってたこともあって住宅のことしか考えてなかったんだけど、もっと普通のサラリーマンの人とかが建築に興味もってお施主さんになってくれたらいいのに、と漠然と思った。
たとえばもしわたしが建築家になって(はいそこ笑わない)うーんなんだろう主婦向けの雑誌にまぁ取り上げられたとしてそしたらもっと「家建てよう!」てなったときに「じゃあ建築家探すか」となるような気がする。
だって今「家建てよう!」と決心したら、「じゃあオープンハウスでもみにいくか」となるんじゃないかな。
そしてハウスメーカー住宅が跋扈する。
わたしは仮にも建築学生だから超線形設計プロセスなんたらというものに触れる機会を持てたけれどもし他の文学部に入っていたらまったく縁のない世界だっただろう。
世の中そういう人が大部分なわけで建築や都市に関心のない人たちが、まぁ普通のサラリーマンはビルをどーんと建てたりしないので住宅のことを考えるが、住宅を建てるとそりゃよろしくないものが出来上がる。



じゃあもっと建築が身近というか、興味を持ってくれればいいなと思う。
最近建築学科の人とばっか話してたから気付かなかったけど、私たちの中での当たり前は決して世の中では当たり前ではない。
当然のことだけどとても忘れやすい。
超線形設計プロセスは誰にでも設計できる方法と言っていたけどそのへんの主婦にまで浸透しきらなければ都市はよくならない。はず。
思想地図なんてぶっちゃけ読まないよ!みんなフライデー読んで昼ドラを見て時間を潰すのさ!←

そして建築が身近になればいいとは思うがそれは決して大衆化してはいけないと思うんだけどね。
大衆化。ある一定の思考に基づく建築であるべきというか。まぁそのへんあいまい!



そんでね不思議に思ったのがね、どうして町の中に普通に建築事務所がないのだろう
いやそれは都市解析でやったように交通費かかるからみんな都心に事務所もつんだようんそれは知ってるけど。
でもなんかもっと小さなやつがあってもよさそうなものだが。
わたしが気付かないだけかな

でも街中に医院はたくさんある。のにな。
まぁ人生の中でお世話になる回数が違うんだけどさ。


おわり。
山中俊治ディレクション「骨」展@21_21DESIGN SIGHT
 
さて前回に続いて「骨」展について。
半年振りに21_21に行ったら迷ってしまい危うく閉館になってしまうところでした。
乃木坂から行けばいいのに六本木から行ったので交差点のところであれ!?てなった。


「骨格を隠蔽すべく見ばえを恣意的につくってきた行為こそが、デザインだったのではないか」という言葉が印象的でした。
建築の勉強してる中だと構造からのアプローチ、みたいなことをよく目にする気がします。
昨年のテーブル課題(TMU南大沢キャンパス内にテーブルをつくるというもの)の講評会だとか。


インダストリアルデザインのことは正直勉強不足ですが、たとえば手元にあるマウスについてもクマの形だとかパンダの形をしたマウスも売られてる。
それって建築でいえばいちごちゃん?なわけだな、と今更思いました。

規模が比較的小さく個人の領域内におさまってしまうモノだとデザインが表層的になりがちなのかも。
建築だとアートであるとか以前に人の命に関わることもあるためにわりと構造だとかにも目がいく。
けど小さなモノをデザインするときにそれを機能が骨格、構造にも高い意識をもつのはなかなか大変なことのような気がしました。
かわいければいーやじゃすまない。という。



特に印象的だったものについて感想とか。

慶応義塾大学 山中俊治研究室 「Flagella」

これすごかった!!!わたし最初みたときやらかいものだと思った。
3つのうねっとしたチューブが2つの関節でつながってて、その先にさらに細い3本の指みたいなのがついてる。それが5つ、球をそぎとったような立体の上に配置されて、回ってるんです。
見なきゃわかんない。笑
関節が回りつづけているのですがその動きが本当に生きているイソギンチャクの触手みたいで、本体もくにゃくにゃしているものなんじゃないかと錯覚しました。


実際硬い物質でできていて柔らかそうに見えるのはそういうふうに計算されているからだそうで。
よく見てみれば関節のところが光の反射の具合でわかるんですが。
人間がどういうものを固い物質だと思いどういうものをやわらかい物質だと「外見から」判断するのか、非常に興味深いなと思いました。


つやっとして立方体のように影がはっきりしているものだと固いと思いそう。
で、反射がにぶくって影の境目がにぶいとやわらかいものだと思いそう。
いやしかし。
今目の前にディズニーシーで買ったクッキーの缶があるんだけどこれ艶消ししてあって反射のしかたはにぶいけど明らかに堅そうだ。
うーん
光のグラデーションの移り変わりが平行だと固いと思えそうだ。
固い硬い堅い
日本語は大変ね。



緒方壽人+五十嵐健夫 another shadow

壁にうつった影が勝手に動き出すというドラえもん的な作品。
影を計算していろんな動きをさせてくれます。
わたしは影が千手観音みたいにならないものかと1人で遊んでいました。笑
まぁそれっぽくはなったよ!
ちょっと恥ずかしかったけどね!w

壁に映った影を画像としてとりこんで、解析して、計算して新たな「影」という黒い映像を映し出す。
ってすごいなと思いました。
可能性いっぱいなかんじ。
たとえばーこれから3つの方向で迷っているときに条件を入れることでどの道を選んだときにどうなるかが予測できるようになったりするのかな。とか?


湯沢英治 写真集『BONES―動物の骨格と機能美』より

美しかった!自然てすごい!長い時間をかけて作り上げてきた骨格は無駄がなくて。
という当たり前の感想しか言えない残念な子です。
いやでもほんと黒と白の陰影とグラデーションから伝わる滑らかさが美しかった。
何時間でも見ていられそうです。



玉屋庄兵衛+山中俊治 「骨からくり『弓曳き小早舟』」

伝統の芸術の美しさに目がはなせないかんじ。見入ってしまう。
解説ビデオの中でも注目してくださいと言っていたけど、顔がとくに。
鼻筋となる高い部分があるだけなのに、それを顔だと認識し(まぁ胴体もあるんだけど)さらに表情と考えていることとが想像できる。
たとえば矢が弓にかかったことを確認する瞬間。
鼻筋をつい、と矢尻に向けただけなのにこれから弓を射るという動作に向けた緊張感が伝わってくる。
その細かい動作をしっかりとからくりの動作に取り入れるという繊細さがすきです。




会場構成がトラフでした。
そうと知らずに見ていたので作品にばかり目がいってしまった。
ちょっともったいないことした。
見ながら「おぉここになんか柱が」と思った。気がする。笑


あとねナビゲーションシステムがすごかった!
白い机の上に「骨」っていう字のかたちに切り抜かれた紙が置いてあって、その紙を作品の方向にむけると白い机の上にその作品の解説が投影されるのです!
すごい!
遊んでしまった!
もちろんその紙の方向を変えると矢印の向きがかわって、別の作品の解説が投影される。
おもしろかったー




会期は30日まで。
次は「THE OUTLINE 見えていない輪郭」展
深澤直人さん。
都市的知覚@トーキョーワンダーサイト本郷
 
都市的知覚という展示を見に行ってきました。
何かおもしろいアートやってないかなと検索していたときに偶然ひっかかったものです。
フライヤーをダウンロードしてみたら2007年にBankART Studio NYKでやっていた都市との対話という展示と似たにおいを感じたので行ってみました。
しかも無料!w


以下引用。


量、速度、効率。都市を生きるわたしたちの知覚は、環境に深く浸透 したこれらの特質にただ圧倒されているようにもみえる。しかし、そ れがもともと発見され、選び取られるというプロセスを経て形成されきたものなら、今を生きる私たちの知覚も自らの手で組み替えてい くことが出来るだろう。

問題はその方法だ。まずは今まで当然と見なされていたものを疑い、 裏側をのぞきこんでみる。積極的にズレを起こし、それさえ世界のひ とつの像であることを受け入れてみる。一見、無関係なもの同士を直感的につないだり、普段気に留められないものに目を凝らし、それに 形を与えてみる。身体の感覚にまかせて隙間や抜け道を見出し、走り抜けてみる。そのときテクノロジーは手助けにしても、振り回されないようにしたい。
この展覧会において各作家は「都市」を題材に、それぞれの視点と手法により、さまざまに試行を展開する。まだ断片的ではあるが、そのような試行の蓄積が未来の知覚を作るためのステップとなるだろう。


以上。

今自分が認識している都市を他人に与えられた手段によってではなく自分で規定した、一般のものとはすこしずらした手段で捉える試み、ということ。だと解釈しました。


Dreaming on the Desktop♯1という作品が1番印象的でした。
狭くて白い部屋で白い机を前に白い椅子に座る。
机の上にはラジオと、メトロノームが置いてあって動いてる。
で、ヘッドホンからの音声と証明の移り変わりを体感するというものです。
ヘッドホンから流れる音は、自然の音とか都市の雑踏とか人の声、足音、ノイズがいれかわりたちかわり。
あと目の前のメトロノームの刻む間隔と微妙にずれた間隔で刻むメトロノームの音も聞こえる。


なんというか・・単純な感想としては怖かった!w
ただでさえ蔦の這う建物にステンドグラスがはまった建物に入ったギャラリーであまり人がいなくて、気配すらないのに左後ろから右後ろへ歩く足音が聞こえたので振り返ってしまいました。
刺激的でした。
目の前のと机と部屋という現実の世界と耳から入ってくる他の世界の情報がメトロノームの音でつながってた感覚。
でもその2つのメトロノ―ムの音は微妙にずれているから完全に交差するわけではない。
都市を層状にとらえてその層と層をメトロノームという正確に刻む道具でつないで都市を完成させる、という作品かな、と思いました。


都市をレイヤー分けする、というか。
実際都市の中にいて自分が認知できるのは自分がいるレイヤーのことだけであって、実際は他のレイヤーでたくさんの人と情報と物流がうごめいている。
でそのレイヤーが無限に積み重なって都市ができている。
という都市のとらえ方。


パンフによると、
「メトロノームをもって街を散策する。そのクリック音は、「ソナー」のように辺りの空間に反射し、空間の情報を含んだ音響として両耳に入れたマイクによって記録されていく。こうして採取された複数の場所や空間の記録が、デスクトップ上のメトロノーム、ラジオのホワイトノイズを媒介に「いま、この場所」へと重ねられる。」
とのこと。

ふーむ
やっぱりレイヤーみたいなかんじ。
コメントを読む限りわたしが考えたよりも自分という存在を中心にしているのかなと感じました。
自分を中心に音を採取し、重ねるレイヤーもたとえばプラ板を何枚も重ねるというよりは1枚ケント紙があってその上にプラ板を重ねる、といった印象。



実際マクロな視点で都市を見たらわたしのいるレイヤーは薄くてほんの一部なんだろう。
そんな中で他の人のレイヤーと交差するというのは私のレイヤーが濃くなるということ。
少しでも濃いレイヤーにしたいものです。

今交差すると書いて思ったけど、実際都市を構成するレイヤーにはXY軸だけでなくYZ軸だとかZX軸に平行なレイヤーもあるのだろう。
もちろんどれにも平行でないレイヤーも。




そのあと21_21で山中俊治ディレクション「骨」展にも行ってきました。
こちらも非常に興味深い。
また別記事で。

洗濯の考察。
先日応募締切だった代官山インスタレーションに応募してみました。

代官山インスタレーションは2年に1回開催のイベント。HPによると、

「場所の魅力と個性を深く読み込んだ作品を展開することで、代官山という街を再発見し、新たな代官山の文化を発信していくことがねらいです。
その一方で、アートを人それぞれの身近な存在として位置づけ、作品制作のプロセスにおける地域の人々との出会い・協働を通じた街のコミュニティの再生というまちづくりの役割も担っています。会期中は、会場の随所でワークショップなどのイベントを繰り広げる予定です。」

らしい。
ソラの中での解釈は、「アートのお祭りで代官山を知って、知ってもらって、盛り上げよう」というお祭りです。


製図室でみんながたまに口にしてたのは知ってたけど大して調べるでもなく、放置していました。実は。
先輩からの希望者みんなで出そう!というのに乗ったのが締切2週間前。
代官山に初めて行ったのが締切1週間前。
ちーん・∀・
すでに先行き暗いかんじでしたが、さらに「みんなで出そう!」に乗れませんでした、結局。
結果、みんなと同じ所属名を書いているのに個人で出しているという反逆者のような形に^^
まぁすべりこみセーフで出せたのでよかったのですが。
しかし登録料1000円+書留代500円はきつい。
2時間分のお給料だよー


そしてプレボ。



イラレとかまだほんと始めたばっかで技術全然ないんでそんなんさらすんかと思ってもそこはつっこまないで><

A2サイズにしては中身が足りない。
時間の制限がきつかったかも。
しかもA4を9枚はりあわせて出したのでなんかぼこぼこして汚い。
余裕のゆうちゃんを目指したいです。



サイトは代官山アドレス・ディスの吹き抜け空間。
現地に行く前に写真を見たときから洗濯物をかけよう、と思いつきそのまま突っ走りました。

洗濯は明日があるという確信の元に行う行為であると思います。
ただしその「確信」は完全なものではなくて、あくまでも希望止まりなのではないか。
実際もし今日、たとえば大地震がおこるとかしたら明日は予想した「明日」ではなくなる。
つまり「明日」は存在しない可能性がある。
それにも関らず、みんな明日のためにと洗濯をする。
洗濯は、「今日が今日であったように明日が明日として存在しますように」という祈りに近い気もする。

Tシャツで虹を切り取り、虹をTシャツに貼り付けた。
明日という未来を確実に明るいものにしようという、一種の固執ものがきっとある。
明日があると疑わない。
明日がないかも、と疑うことは自分という存在の明日を疑うことである。
崩れそうになるから、目を背ける。

実際それではいけないと思う。
わたしは1日1日がその1日であったことを常に感謝しつづけたい。
明日はわたしの期待した「明日」ではないかもしれないけれど、その違いがきっとわたしにとってよい方向に働くと信じたい。



だいぶ深読みです。
自分の作品を深読みするなんてなんてはずかしいことをするんでしょうかwww
プレボには書かなかったけど。
説明するほど野暮なことはない、と思って。
審査する人がたくさん深読みしてくれるといいなー。

同じ敷地でもっとおもしろそうなことをしている人がいたので通るとは思っていませんが。
アート性としては負けてない。かもしれない。笑
勝ち負けというより、「明日への不安と期待のいりまじった感覚」をわたしなりに表現できたので満足です。




代官山初めて行ったけど、すごいいい街だったー・∀・
代官山という個性をかたくなに維持していく街だろう、と思った。
いい意味でかたくな、変化は許容してもほかに流されることはないだろう。
ただのブランドとしてみている人も少なからずいそうだけれど、代官山の魅力ってそんなうすっぺらいものじゃないと思う。
その辺についてはもっと代官山のことを知ってからで。

電車で1本なんだからもっと行こう。
今度はお買いものしに行きたいな。
ちょっと高そうだけど、がんばってでも買いたいと思えるようなものに出会える気がしました。


3度目改め4度目。



やっぱテンプレを自分でつくれる(はず)じゅげむにしました。
今までのブログは自分さえ分かればいい(むしろ自分さえ時間がたつと何のことだったのか分からなくなる)ようなただの言葉の羅列だったけど、今回はちょっとpublicなブログにできたらいいな。
もっと深い言葉を。

建築学生なので建築について書きたいなーと思いつつ、好きなものはと聞かれたら文具なので文具についても。
純粋に楽しいと思えるのはメイクしてるときだったりするので、一応女子なんだよアピールでそのへんについても。笑

なんだろう。
わたしが心動いたと思えるものについて、それが何故なのかどの部分についてなのかをしっかり言葉にしていきたいと思います。
記憶ね。


そんな感じで自分のためのブログですが願望としてはわたしの考え方を知ってどう思ったのかとか、知りたい。
そのへんがpublicっていう。・∀・
意見とか批判とか感想とかレスポンスお待ちしてます。